魅惑のアヒル口

貴族探偵の不思議な世界にやられています。


好きな本が映像化されて喜んだこともなければ、ドラマや映画が気に入って原作を手に取ったこともないけれど、原作ファンの方々が、あまりに楽しげに誇らしげに素敵にドラマを語るので、どうにも興味が抑えきれなくなった。そして今回初めてドラマを見始めてから原作を初見、ということをやってみた。

推理小説というものは、雄弁に作者を語るよなあ。

起こること、そのやり口、そして結末。事実として出てくる事例はもう、古今東西出尽くした感があって、既視感だらけ。でも、次々と増幅し、新たなスターが誕生するのが推理小説界で。そこには作者の個性がむき出しで現れるように思う。わたしはどちらかというと、文章そのもの、を楽しむタイプなので、登場人物がいかに魅力的なディディールを備えていても文に魅力がなかったらあまり食指が動かない。逆にものすごく魅力を感じてしまったら、その連中が醸し出すすべてがおもしろくて愛おしくさえなって、トリックが稚拙なことなど気にならなくなる。そういう意味ではわたしは“推理”自体はまったくどうでもいいのかもしれない。

貴族探偵麻耶雄嵩という人は、本当におもしろい。
物語を、登場人物を飛び越えて、作者が読者にダイレクトに挑んでくる。その予兆さえみせずにいたって穏やかに冷静に。そしてそのまま、読者の頭に???をいっぱい作って去っていく。凄い。好きとか嫌いとかはさておき、おもしろいと思った。比較していいのかわからないけれど、アクロイドを読んだ時の衝撃に似ていたとさえ、言ってもいい。


これ、映像化するって挑戦だったのだろうな。本当に作者が好きな人が作っている。たとえば、指輪物語の大ファンであったピーター・ジャクソンロード・オブ・ザ・リングを作ったみたいに。

相葉さんが演じる貴族は謎だらけ。原作よりも、可視化することでより、不思議さが増した。嫌味にならずにでもちゃんと適度に嫌なヤツで。相葉さんが演じなければ、あんなに不思議にならなかったのではなかろうか。とにかく何を考えているんだかわからない。真意がつかめない。もっといえば、原作は貴族探偵が何者でもかまわなかったし、何を考えていようともかまわなかった。(むしろ、何も考えてないんだろうなと思いつつ読んでいて、それが正直不満でも不気味でもなかった。)でも生身の人間を前にして、それってやっぱり不思議なことで。感情を殺していたとしても、そのことがにじみ出るものだと思うのだけど、それすらない。それって相葉さん、すごいことなんじゃない??

とにかく先が楽しみで、でもけっこう怖い。
ぞくぞくしながら月曜を待つ。