夢の世界

いつのことだ、って感じですがどうしても書き残したく。

札幌で20周年のお祝いをすることができました。

久しぶりのアリーナ。埋もれること必至なので、肩と肩の隙間に視線のポジションをなんとか探しつつ、生の彼らとビジョン越しの彼らのどちらに照準を絞るかという贅沢な選択に曲ごと悩みつつ、堪能した夢の世界。

観たもの感じたことのすべてを残すことができたらなんて幸せだろうと思うほど素晴らしい3時間だったのに、ポンコツなわたしは記憶がぽろぽろ剥がれ落ちていくのを止められず、なんとも無力。とにかく幸せでした。それだけが残ってる。

 

ありがたいことに2013年ぶりに自名義が働いての札幌行きだったが、実はその前に同行者という立場でも一度5×20をお祝いできている。これで一生分の運を使い切っちゃったかなというくらいの強運ぶり、すべてにひたすらに感謝したい。

 

2018年12月吉日、東京。センステから見て右のスタンド、なんと一列目!わたくしの嵐史上一番の良席。目線を遮るものが何もない幸せを噛みしめる。そして何より近くに来るやないか!!!たぶん!!

今回初めてうちわを持って、いわゆる担当のメンバーカラーを着て乗り込んだ我等。それをしなかった今までは変な遠慮があったのかもしれない。そしてこんなにがっつり応援していておいて軟弱な話だが、ただただ照れくさかったというのもある。でも、溢るる愛があるなら、あなたを応援してるよ!!って伝えないでどうするんだと今回急に思い立つ。「昔のうちわとかツアーTとかタオルとか、持ってきてくれたら嬉しいな。」(大意)とじゅんも言っていたことだし。わたくし嵐コン初体験のドリアラにて、うちわを買わなかったことに今更ながら若干へこむも気を取り直して5×10のうちわを担いでいざ、東京ドーム!

 

オープニングから大号泣。

“感謝”って、折に触れて届けてくれる大切な一曲。本当に良い曲をいただいたよねえ。10周年のオープニングもそうだった。きっと嵐にとってわたしたちに向けて気持ちを伝えられる大切な曲なのだと思うと、受け取るこちらの気持ちも更に高まって、それだけで涙腺崩壊。未来を知らないこの段階で、こんな風に感極まって泣いていたらそりゃもたないよ、、と今のわたしが助言したくなるほどだったけど、それはそれ。

 

・・・細かいことはすべて脳内でとっちらかっているので、特に書き残すべきことを書くことにする。

わたしたちのうちわに相葉さんが気が付いてくださいました。

※ここ、こんな風にどやどやする予定ではなかったのです。すべての記憶をまんべんなく残しておきたかった。なんならクールに受け止めたかった。でも、ファンサというものをいただいたのも初めてなら、もちろん彼らの視界に入ったことすらなかったわたしにとって、事実これは一大事でした。そしてそのことがやはり、一番の思い出として残っているのです。その驚きと感動をいざ残そうと思ったら、どうしてもどやどや風になってしまうのでもう胸張ります。本当にびっくりした。

ひっくり返るくらい近い距離で、相葉さんは汗を飛び散らせて踊っておられました。(もう敬語しか出ない。当然ながらそれくらい尊い。)

こんな風に認識することすらなかったが、いつだって等身大ではない嵐を見てきた。テレビ画面に雑誌面にスマホに収まる大きさ。ビジョンや映画スクリーンの大きさ。生で見られるコン会場でだって大抵とびきり大きいか小さいか。それが、急に等身大のありのままの相葉さんが目の前にいて、ちょっとだけ上からこちらを見下ろしてる。この時の身の置き場のないような申し訳ないような恥ずかしいような全身の毛が逆立つようなこの気持ち。

となりの相葉坦さんは当然ながら卒倒寸前、とても乙女でした。わたしはあんまりにも想定外な場面に出くわすと笑ってしまうタチなので、この時も笑っていたと思う。本当に冗談かと思うほど恰好よくて、その美しさに慄きながら。

これで我々のスペシャルタイムは終わった・・・と思っていたら。

 

次の外遊時、相葉さんは翔さんを連れてきてくださったのでした!

これはまったくの憶測で、わたしの独りよがりな妄想だ。でも、相葉さんはそういう人な気がする。

「オレのちょっと前のうちわを持っていた子がいてね、そのとなりの子はしょーちゃんのうちわもってたよ!見にいこ!」

・・・違う??この場面ってそんな自由じゃないか。でもいい。来てくれたから。

 

翔さんはそのお言葉の通りに、目を合わせてうなずいて、彼らしいファンサをしてくださいました。ほんの一瞬の出来事。相変わらずわたしは笑っていたと思う。引くぐらいに。こんな瞬間二度とない、と思いながらも笑うことしかできない自分。そしてそんなことなら10キロくらい痩せてもうすこし見られる姿になっておきたかったとかやっぱりドリアラのうちわは購入しておくべきだったとか赤い服を着てきて本当に本当によかったとか思ったりした。

 

このコンサート前、嵐が尋ねてくれた好きな曲や思い出深い曲たち。わたしが書いた曲のほとんどすべてを聞くことができた。それは本当に幸せな時間で、自分自身の思い出と重ねて泣いて、嵐が好きな気持ちが溢れてたまらなくなって泣いて、そしてたくさん笑った。

嵐は何度もわたしたちにありがとうと言ってくれる。でも、それはこちらのセリフだ。こんな幸せな時間をありがとう。いつもいつも、ありがとう。

 

・・・・・

札幌での夢の世界を書きたかったのだが、そこに至るまでで力尽きた。また次の機会に。