嵐前後


1月25日を迎えるにあたり、好きなサクラップを挙げよ、という
お友達の企画に参加させていただいたのだが、考えれば考えるほど
それはいろいろなことを思い起こさせるものだった。
わたしがここまでに好きになったアーティストと呼ばれる人たちのこと。


ユニコーン
ロックバンド全盛期だったあの時代
格好つけることより格好いいこととは何かを体現した彼ら。
人生をからかって笑ってばっかりで、
でも決して人を傷つけることをしない。
曲や演奏はピカイチなにいさんたち。

初めて見たライブビデオの衝撃は、今でも忘れられない。
それからというもの彼らのアルバムを日々激しくリピート。
毎日ラジオを録音しながら聞き
録音したそれを何度も聞いた。
地方のテレビ局で番組があれば、どうにかして
ビデオを取り寄せて観た。
コンサートにも出来る限り行った。握手会にも行った。
ファンと彼らの間にいつしか流れる不穏な空気に
いいしれぬ不安を感じながらも
このままずっとそのまんまの彼らを見ていけるように
祈っていた。
しかし、祈りもむなしくリーダーが脱退。
あの瞬間から、わたしはもう
金輪際どんなアーティストといわれる人たちにも
熱狂したりしないんだろうなと勝手に思っていた。

しかし出会いはあった。
入り待ちみたいなことはしたことがないし
ラジオも聞き逃してばかりだったけど、
地方のライブハウスにも追いかけていくほどには好きだった。
そんなことはUNICORN以来だったので自分に驚いた。
その某ラップグループは、ラップというと浮かんでくる、
世間に噛みついて廻るようなイメージとは対極にいた。
(もちろんラップのルーツを辿ればそこには確固たる
ゆえんがあるという。そのルーツとは無縁の日本人が、
スタイルだけをなぞって世間様を向こうに回し
ディスりまくっていたら、それこそお笑いだと思うのだけど)
彼らは陽気に明るくただただ、音楽の素晴らしさ、
人生の愉しさを謳い上げていた。
ディスってくる先輩ラッパーに、悪びれず悔しがりもせず
「勉強させていただいてありがとうございます!」と、
頭を下げてしまえるしたたかさ。
でももちろん、自分たちの音楽にプライドを
持っているからこそのふるまいであって、
ひょうひょうとしながらもそのプライドは
創る曲となって現れる。
ハイクオリティな、しかも楽しい温かい平和な楽曲となって。


熱しにくいが冷めにくいわたしのことだ。
彼らのことは今ももちろん大好きだし、応援している。

でも次に現れたアイドルがわたしの生活を一変させた。


嵐。存在はもちろん知っていたけれど、
きちんと向き合ったのはここであったと思う。

たまたま見た深夜番組。川柳を詠み、顔に墨を塗られ、
5色の羽織袴姿でそれこそ5人5様の彼らを見せていた。
その個性がわかりやすくておもしろかった。
すぐさま毎週録画の設定をした。
特にわたしの気に入った赤い彼は、
司会の立場=明らかにツッコミのポジションでありながら
途中で足を痺れさせ、しまいには寝転がって司会を続けていた。
おもしろかったのはそれに対する他のメンバーの反応。
「寝てやるんだ。」の一言だけ。大げさなツッコミを入れることもなく
寝転がった彼をそのままに番組は進んだ。
その空気がどうにもこうにもよかった。
今して思えば、わたしの揺るぐ事のない嵐に対する信頼は
ここで生まれたのだと思う。5人だけが持つ空気。
それを生んでいるのはそれぞれに対する自然なさらりとした
でも陽だまりのような温かな尊敬と愛情。

それでも彼らの音楽とその表現方法のクオリティがここまで高くなかったら、
わたしはここまでハマることはなかったと思う。
どうあっても好きにはなっていただろうけど。
彼らの外見だけじゃない、人柄だけじゃない
楽曲だけでも、ライブだけでもない。
すべてにハマらないとここまでは追いかけられなかった。
わたしは幸運だ。


「アイドルがどれほどのもんか見せてやるよ」と、
すっかり好きになってから言われたわたしではあるが
以来どれほどのものかを見せつけられ続けている。