迷いがない、というその清清しさ。

百年の孤独
ガルシア・マルケス/作
鼓直/訳
新潮社

ブエンティア家の100年。
それはマコンドという村が生まれ、栄え、そして滅びていく100年。
それぞれが自分を貫きながら、それぞれのやり方で人生を全うする。
底知れぬ孤独。当然のこと。

それは、題字や装丁や、またはラテンアメリカノーベル賞やその他の名声
などから連想したあらゆるものを軽く飛び越え
さまざまに色とにおいとかたちとを変えながら
私に鮮烈な印象を残した。


人にとって、生きることとはなんだろう。
自分を持つ、ということは
個を大事にするということは
そして血のつながり、家族、とは。

普段ネガティブイメージのあるものに、極力寄り付かないようにしている。
そこで浴びせられる負のパワーにはこりごりだからだ。
それなのに、どうして「百年の孤独」だなんて、一見
ネガティブパワーが爆発しているような絶望的な響きのこのタイトルを
手に取ろうと思ったのか。
(現に正直、どれだけ有名だろうと、常識であろうと、名作だろうと
  太宰だけは、特に人間失格だけは手に取る気がしない。
  逃げ回っている。いつか読める日が来るのだろうか。)

とにかく凄い本だった。
凄い、小説。
好みだ何だと語ることがおこがましいと感じるほど。
でも、敢えて言いたい。
この小説、私は好きだ。

ありとあらゆるものの影響を受けずに人格は形成され得ないから
日本に生まれたわたしとコロンビアに生まれたあなたでは
それだけで、まず違う何かを背負っているわけで、
ひとつの出来事に感じることも考えることも違うのは、言うまでもない事。
でも、あくまでそれは表面的なことであって、
心の深遠に潜む何かには共鳴できるからこそ、文化を共有できる。
それもまた、言うもでもない事ではあるが、ここまで違うものの
深遠に共鳴できるものを見つけられたことは、大きな驚きであり、喜び。

私はまた折に触れ、この本を開くのだろう。
あらゆるものを享受する。
自分を大切にしてもがけばいい。
それと同じだけ、他人がもがくことを尊重できれば。
魂を躍らせ、心を震わせ、たくさんの喜怒哀楽をその身に受け止めて
ただひたすらに生きていく。
誰でもない、「自分」を受け止めながら。