地元の図書館へ。

図書館へ行ってきた。 
利用者として行くのも本当に久しぶり。 
職場だった区を思い出す。 
やはり今はどこも似たようなものらしい。 
使い勝手の悪さや質問への回答の悪さに 
懐かしささえ感じてしまった。 

目当ての一冊があったのではなく、書棚を見ることで 
読むべきものを見つけたかったのだが 
ちいさな図書館だということもあって 
なかなかこれというのが見つからない。 

特に哲学や倫理学の棚に新しい本がない。 
たしかにこの手の本は借り手が少ない。 
でも、新しいものを用意しなければ 
余計に借り手は現れないし、こういった類いの本が 
充実していてこそ、図書館だと思うのだが。 
何冊も手に取ってみたが、10年前に発行されたものが 
一番新しいなんてどういうことだ。 
もちろん、新しければいいなんてものではないけれど。 

本はある。だけれど、図書館中の棚を 
ぐるりと一周じっくり見回して、 
読みたい本を見つけるのに苦労するというのは 
非常事態だ。 
でも、そんな図書館が本当に増えた。 
たとえばほぼ10年前、私がアルバイトで 
潜り込んだ図書館たちは 
それこそ、棚を整理しながらも 
読んでみたくてうずうずするような本が 
ぐるりと一周で何冊も見つかったものだったのに。 

図書館の基本中の基本は蔵書構築。 
本のラインナップを決めること。 
何年もかけて、計画的に集めていくこともあれば 
急に流行ったものにばっと対応することもある。 
どちらにせよ、図書館全体の棚を一冊一冊の本が作っていくのだ。 
それが図書館の魅力となり、カラーとなる。 
そのきめ細やかな棚のメンテナンスができなくなっているから 
こんなことが起こってしまう。 
蔵書構築できないって、本当に恐ろしいこと。 

新刊コーナーに一冊、ようやく見つけたそれは下巻だった。 
上巻は貸出中かしら、と思い 
検索してみたら。 
他の図書館に在庫となっている。 
貸出中なんかじゃない、もともとこの図書館になかったのだった。 
要するに、下巻だけ、ここにこうして飾ってあるのだ。 
上巻が読みたければ、取り寄せなさい、ということ。 
ようやく読みたい本が見つかった私にとって 
かなりまどろっこしく、がっかりした結果だった。 
それも、蔵書構築できないことの弊害のひとつ。


私が勤務していた区では 
数年前から本の購入方法が変わった。 
各図書館が独自に書棚を構成するのではなく 
区全体で大きなひとつの図書館と考え 
まずその資料を買うかどうかを決め、次に全体で所蔵する冊数を決める。 
それは、一日に2度図書館間を車が行き来して本を運び 
各図書館がオンラインで繋がって、ほぼリアルタイムに 
本の状況がわかるからこそできる方法だ。 
限られた予算の中で 
区内で同じ資料を何冊も買うことを防ぎ 
その分資料の点数を増やせるという利点がある。 

でも、利用者として考えるまでもなく 
当時からその方法には疑問があった。 
区内の図書館全体の本として購入したそれらには 
帰る場所がない。 
利用者が返却した場所が一時的な本の居場所。 
また呼ばれれば出て行って、帰った場所が仮のすまい。 
上巻、下巻が離れているのはそこに原因がある。 

そもそも本を選ぶのは、大きな仕事。 
自分が働く図書館の棚をイメージして 
訪れる利用者の顔をイメージして 
必要なもの、読まれるものを厳選していく。 
区内の図書館すべて、なんていう漠然としたものに 
どんなイメージでどんな本を選べというのか。 
蔵書構築など、できるわけがない。 
漠然と選ばれたそれらは魅力に乏しい。 
必要かも、という曖昧な理由で選ばれているからだ。 

今、新刊コーナーには借り手のない本が山のようだ。 
これが本当の意味での経費削減になっているのか。 
第三の方法を、考える時が来ていると思う。