新しい職場にて。

それは、公園のなかの図書館。 
どの窓からも、木々が生い茂るのが見える。 
木漏れ日がまぶしい。 
訪れる方々からも、どことなくのんびりした印象を受ける。 

古い建物だ。漆喰の白壁が私の出身高校みたいで、懐かしい気持ちになる。 
最近の切り詰め切り詰めして作った建物とは違って 
ゆとりある、落ち着いた佇まい。 
それは、テレビドラマの撮影隊がよく使うほどなのだ。 
戦時中は陸軍の司令部だったとか、野戦病院だったとかいう 
その歴史を聞いたら、ちょっと怖いけれど。。。 

のんびりした、って、基本的にはとてもいいことなんだと思う。 
あくせくしてるよりきっとずっと体にもいい。 
でも、仕事はそうばかりいっていられない。 
びびっとしたところがなければ。 

図書館は、文化を担う大切な場所。 
大げさなことは何もなく、本当に、 
今の図書館がどれだけ充実しているかによって、次の時代の文化が決まると思う。 
図書館の存在だけが、文化を支えているといっているのではない。 
たくさんの枝葉や実、花を咲かせる大きな木の、根のような存在。 
そこがしっかりしていることは、基本中の基本なのだ。 
お金がなければ勉強ができない。お金がなければ芸術に触れられない。 
そんな時代になったらどうだろう。 
それは、文化の芽を摘むことにはならないだろうか。 
図書館は、すべての人に資料を提供する。 
求めるものだけではなく、新たな発見、新たに知りたいことが増えるような 
場所でなければならない。 
そこに働く図書館員が、求められることだけをやっていて、 
それがサービスだと思うなら大きな勘違いだ。 
一歩も二歩も先を行って、利用者のみなさんに 
常に知的刺激を与え続けるべく努力する。 
とても難しいことだ。 
でも、日々の努力できちんと結果は出てくるものなのだと思う。 

けれど、今の図書館で、どれだけそれがなされているだろうか。 
そもそも図書館の存在意義、その担うべき役割の大きさを理解した 
司書が、公立図書館ではほとんど働いていないという、 
恐ろしい事実がそこにはある。


司書がいないことだけがよくないとは言わない。 
そこで働く意義と役割を、きちんと理解した職員が 
あまりに少ないことが問題なのだ。 
それ以前に現場では、日々の仕事がとにかく山のように次々と溢れている。 
そこを円滑に進めずして、どうやって次の次元の仕事に目を向けられよう。 

古巣の図書館は、ものすごく忙しいところで、 
能率よく、かつミスなく円滑に進めるために 
仕事がきちんと細分化され、それはそれは理にかなったシステムがあった。 
そうでないと、たちまちパンクしてしまうほど、利用者が多かった。 
日々利用者からの相談や要望に的確に応え、溢れ返りそうな内外の仕事をさばく。 
それはできるだけすべてのクレームを防ぐことにもつながっていたと思う。 

けれど、時間に余裕のある図書館では、そこが違っていたりする。 
基本的に同じ区の図書館なので、業務内容とマニュアルはもちろん統一している。 
ただ、利用者や蔵書の数、立地条件によって 
ローカルルールが存在するのは当然だけれど。 
去年度お世話になった図書館も、ローカルルールが色濃く存在した。 
たとえマニュアルと違っても、現場をスムーズにこなすには必要なことがある。 
ひと手間かけることで、効率がよくなるなら、それはむしろ大切なことだ。 
ただ、区立図書館は公の機関として、守らなければならないことがあるし、 
基本として忘れてはならない大きな役目がある。 

子どもたちに本のおもしろさを知ってもらうことも、その大きな役目のひとつ。 
私にとって、それはもはやライフワークと呼びたいくらい、大事な仕事。 
新しい職場では、なんやかんやと理由をつけて、それが縮小化されようとしている。 
悲しいけれど、この事態は予測できていたことだ。 
だって、意義を知らない人たちにとっては、日々の貸出返却以外は 
やらなくてもいい「めんどくさいこと」なのだ。 
ここで、私はなんとかふんばって、笑顔で児童サービスの縮小を抑え 
充実させていくのだ。 
それでもなんでもどちらにせよ、この一年でここの区立図書館を去る。 
雇用止めがある現場で働く、宿命。 

司書だからどうというわけでは、今更ない。 
図書館の意義と役割を、きちんと理解して、的確な対応ができるならば 
司書の資格の有無だけを、現場が問うことはこうなってはもはやナンセンス。 
ただ、このままで図書館がいいとは、決して思えない。 
委託化が進むことに私が反対なのは、結局、国しかできない事業だから。 
民間は必ず、当然、利益を追求する。 
1円だってもうけは期待できないが 
現代の私たちの心の豊かさにとって、次世代の文化にとって、 
必要だからなくてはならない、投資しなければならないという機関だ。 
利益追求が目的な民間企業に、どだい手に負えるしろものではないのだ。 

私たちがふんばること。それは、きっと次につながっていく。 
そう信じて頑張って行きたい。 
・・・と、今は思うのだが、正直なところ、 
小さな頃からの夢の現場が崩壊していくのを 
見ていなければならない現実は、何より辛い。