春がやってきた。

私は3月が苦手だった。 
気が緩んだら泣けてくるくらい。 
花粉症なのではない。 
理由はよくわからなかった。 
たぶんそれは、その季節になると必ず訪れる、別れが原因。 
次の学年になって、または新しい学校へ行って、新たな出会いが待っている。 
ドキドキワクワクよりも、 
不安な気持ちよりも 
今の温かい心地よい空間と、 
みんなと別れるのがせつなく悲しい。 
たぶん。少なくともそれは大きな理由のひとつだ。 
理由はそれだけなのか、ほかにもあるのか。自分でもよくわからない。 
それでも毎年、自分のそんな気持ちを持て余すことだけはわかっている。 
だから、3月には身構える。 
そしてまた来たな、と思う。 

だからといって何も心配することはなくて、結局4月になってしまえば 
そこがまた居心地の良い空間になるのだから世話はない。 
わかっているのに、どうしたって毎年必ずせつなくてたまらなくなる。 
それだから、ほかに原因を探りたくもなる。 
ふと風が気持ちよくなったと思えばせつなくなり 
夕焼けがキレイだと思えばせつなくなる。 
ずーっとせつない気持ちを抱えて過ごす3月は、微熱が続いているみたいだ。 
軟弱な自分を感じる、唯一の季節といっていい。 

小学6年生くらいからその微熱(みたいなもの)の原因が 
だいたいのところわかってきて、そうしてだいぶ気持ちが楽になった。 
ほかに思い当たる節もないし、これは、別れが原因なんだ、と。 
ただ耐えるだけだけれど、それでも原因がわかっていると安心だ。 
幼少の頃はなぜだかわからないまま、どうしたらよいかわからないまま 
ちょっとしたことでわんわん泣いて、親を困らせていた。 
自分でも、どう対処したらいいのかわからない大きな憂鬱が 
もくもくと雲のように胸の中に広がって、押しつぶされそうだった。 

今ではもう、ほとんど懐かしい感覚。 

大人と呼ばれる歳になって、仕事をするようになっても 
しばらくは、私の3月病は続いた。 
でも、もうない。正確には、ほとんど、ない。 
仕事や日常に夢中になればなるほど、 
季節感と一緒に私の3月病も消えて行った。 

「大人になるということは、生きていくのが楽になること。」 
江國香織はそう言っているけれど、本当に私もそうだと思う。 
どうしようもなく揺れ動く気持ちを持て余すということ 
本当に少なくなった。それはとても楽だ。 
楽だけれど、つまらない。 
大切な何かをなくしたのかもしれないと思いながら 
今、3月を過ごしている。