寿ハンドベル

高校時代の友人が、2月に結婚式を挙げる。 
恒例のハンドベル部が、久しぶりに始動。 
曲を決めて、楽譜を手に入れて。 
あとは練習あるのみ! 
とはいえ家族が増えたり、仕事に邁進していたり 
それぞれの状況がまったく違う8人。 
当日までにはたして全員練習が何度できるのか。。 
そこが問題。 

それにしても。 
お互いの状況が変わっても、何年歳を重ねても 
変わらないのが私たち。 
高校時代、どれだけ先生に苦労をかけてきたか 
実感させてくれたのは、何を隠そうベル練だった。 

思えば5年前(になるかな?)。 
初めて仲間うちから一人、結婚することになって 
8人みんなでお祝いがしたくて 
余興に選んだのがハンドベル。しかし何せ全員初心者。 
公民館の一室を借りての練習は、毎週に及んだ。 
その頃には、それを許すゆとりがあった。


練習も佳境に入ったある日 
演奏中、必死になりすぎて自分たちの音を 
客観的に聴けていない、という一人の提案で 
録音をしてみることに。 
せっかくだから、ということで、 
入場から演奏、退場までを通しでリハーサル。 
そしてその一部始終を録音した。 

そこで私たちが発見したこと。 
それはハンドベルの音を家庭用ラジカセで録音しても 
演奏の善し悪しを判断することはほとんど無理。 
ガシャガシャ鳴るだけで、臨場感はまったくないということ。 
でも、それより何より私たちにとって衝撃的だったのは 
私たちが、とても、とても、ウルサイということ。 

それぞれが大声でしゃべりまくり、基本的に興奮している。 
(ように聞こえる。客観的になると。) 
幸か不幸か人数が多いので、 
誰かしらがそれに答え、会話が成立。 
「私たちって・・・。うるさいんだね。本当に。」 
誰かが呟く一言。 
本当に、これは正しく、騒音だった。 

高校時代、何度となく先生には注意されていた。 
というより、注意されっぱなしだった。 
先生と生徒に余計な壁のない、 
こじんまりした居心地のいい学校。 
先生方のことは大好きだったけれど、そんなに注意されるほど 
騒々しいとは思っていなかった。自分たちは。 

ああ。私たちは、本当にうるさかったんだ。。 
先生、ごめんなさい。 

心から楽しくて、リラックスできる空間がそこにはある。 
みんなが集まれば、自然とそこは、安らぎの場。 
でも私たち、確実にウルサイおばちゃんになるんだろうな。。 
(今はそうでないことを願う。)